看護部 
-リソースナース紹介-

私が認定看護師を目指した理由

手術看護認定看護師 西岡 舞

 

西岡 舞

私が看護師になろうと決めたのは、進路を決めようとする時期に、母が脳外の手術を受ける事になり、入院することになったことがきっかけでした。それまで、漠然と看護師になろうかなと思っていましたが、母を看護してくれていた看護師の姿をみて、看護師の道に進もうと思いました。手術を受ける母にだけではなく、同じように不安であった父や私にも心配ないと接してくれていたこと、術後のしんどいなと思った時にタイミングよく看護師さんが来てくれていたという話を母から聞いて、大変だけど素敵な仕事だなぁと思ったのを思い出します。当時は子どもと関われる仕事ができればいいなと考えていたので、看護師の中でも小児科病棟で働きたいなと思っていました。その当時は、看護師になろうと決めて看護学校に進学しましたが、手術室看護師という選択肢なんて全く頭にもありませんでした。
そんな看護学生の夏の病院アルバイトで配属されたのが、手術室でした。配属場所を言われた時は、「え…手術室?何をすればいいんだろ?どんな所かも分からないし…嫌だなぁ…」というのが正直な気持ちでした。実習ももちろん、授業ですら受けたことのない手術室に行くことに、初回はかなり足が重たかったです。しかし、アルバイトをしている中で、手術室の中の雰囲気や仕事を見せてもらっているうちに「やりがいがありそう」と思い、正直カッコいいなとも思いました。また、母が手術した事もあり、手術室の中はどんな気持ちで手術に臨んで入ってきていたのかな?と思うと、手術看護に興味が湧くようになり最終的に就職先として手術室を希望しました。
看護職として入職し、希望した手術室に配属されました。希望通りではあるものの、毎日覚えることが多く、今までの実習とは違い毎日が必死でした。入職して2ヶ月頃のことです。知人のおばさんが癌で開腹手術を受ける事になり、器械だし看護師として手術に立ち会うことになりました。術前訪問に患者さんのところに向かうと、「緊張して何も分からないかもしれないけど、あなたが居てくれるなら、本当に安心やわ。怖いことないね。」と言ってくれました。術後には「あなたが居てくれていたから心強かったよ。」という言葉を言ってくれました。半人前ですらない私に、知人とはいえ患者さんにこんな風に思ってもらえるなんて…。と、自分のことで必死だった自分を反省し、患者さんの事を考えて看護ができるようにならないと。と改めて思いました。そして、手術看護のプロフェッショナルを目指そうと決意して、手術看護認定看護師の取得を目指しました。
正直、手術室では患者さんと関わる時間は、入院期間から考えるとごくわずかな短い時間です。でも、そのわずかな短い関わりの中でも自分が患者さんの役に立っていると思える瞬間がありがたいし、頑張ろうと思える瞬間です。これからも知識と技術を更に磨き、スタッフ教育に関わり、手術室看護の質の向上に関わっていきたいと考えています。

 

自分が忘れられない患者とその家族さんとの出会い

北5階病棟 万波 直紀

 

万波 直紀

私は新人の時に北5階病棟に配属されて現在で10年目になります。
病棟では主に慢性期のチームを担当させていただいています。自分が忘れられない患者Aさんは、1年目の12月ごろに担当させていた、重症部屋に入院されていたCPA蘇生後の意識障害のある患者さんです。Aさんは経口で摂取できず、胃ろうを造設されていました。Aさんには1人の娘さんがおられました。娘さんは仕事をしておられいつも仕事終わりに病院に向かい18時から面会時間終了まで会いに来られていました。当時1年目の私は面会に来る娘さんを廊下などですれ違うたびにただ「仕事終わりに面会に来て娘さん大変やな」ぐらいにしか思っていませんでした。
そのように思っていた数日後に初めて夜勤で患者さん担当することになりました。夕方、Aさんの胃ろうから栄養剤の注入をするために病室を訪れました。ベッドサイドには娘さんが座っておられただただ無言でベッドサイドに座っている状態でした。私は「注入させてもらいますね」とだけ声を掛け注入を行い始めました。私が胃ろうから注入中、娘さんはずっと私が注入している様子をじっと見ていました。その時の様子はなんか、座りながら前のめりになり興味深そうに見えました。その様子をみた私は先輩看護師にも相談せずにとっさに「注入やってみたいですか?」と娘さんに声をかけてしまっていました。すると娘さんからの返答は「いいんですか?やってもいいんですか?実は注入やってみたかったんです。」といわれました。その返答をもらい私はふと我に返り、先輩に相談せずに行ってしまったことに気づき「先輩にも相談させてもらい後日返答させてもらいますね」と言い、一旦保留となりました。自宅退院ではないAさんの娘さんに注入指導を行う必要があるのかわからないけど娘さんの表情や発言などを後日先輩看護師に相談を行いました。すると先輩看護師は「自宅退院のためだけに注入指導をするわけではないです。今後療養型の病院に転院する患者さんでも娘さんが患者さんの最後まで関わることができたと、思っていただけることも大切です。」と私に教えてくれました。この言葉が1年目の時の私にとても心に残り今でも大切にしている言葉です。その後、娘さんに注入指導を開始しました。今まで無言でベッドサイドにただ座っていた娘さんが、注入指導を開始すると、自宅にあったマイエプロンをもってきてやる気に満ち溢れていました。そして患者さんに「今から私がご飯あげるからね!」「おなかふくれた?」など積極的に声掛けをされており、正直、注入指導前とは別人でした。私は家族さんにも一緒にケアに参加してもらうことは患者さん本人だけでなく、家族さんにもいい影響を与えるだということに気づきました。そこから私は家族参加のケアに興味を持ちました。できる限り患者さんだけでなく家族さんとも多くコミュニケーションを取ることを心掛けました。この事例の胃ろう注入への家族の参画については今では良かったのかどうか疑問ではありますが、この事例を通して、患者家族のケアへの参画の意義と看護は患者・家族、そして看護師との相互反応により成り立つことを学びました。
月日が経ち、私が3年目の時にある患者Bさんと、Bさん家族に出会いました。BさんもCPA蘇生後の意思疎通が取れず胃ろうを増設されていた男性患者さんでした。私が初めてBさんのベッドサイドを訪れた時、Bさんの奥さんの表情は暗くうつむいていました。その時に私は1年目の時に経験したベッドサイドで暗い表情で座り込んでいる娘さんの姿を思い出しました。その表情を見て奥さんの笑顔を取り戻したいと思い、勤務の時は必ずベッドサイドを訪れコミュニケーションを取りました。入院当初はたくさんの医療機器がついていました。その時にはBさん本人に触れるのが怖かったようでタッチングや看護師と一緒に手浴を行いました。また、呼吸器が離脱できた後は自宅でよく使用していたコップやお茶を持参してもらい、一緒に口腔ケアと胃ろう注入などを行いました。さらに点滴が離脱できた後は、別の病棟にある薬浴室まで行き一緒に入浴介助を行いました。一緒にケアに参加してもらうことで奥さんの表情は明るくなり、Bさんへの声掛けが増えてきました。口腔ケアや胃ろう注入の時は「お父ちゃんご飯やで、私があげているんやで、おいしいやろ」とか入浴介助の際には「私がきれいにしてあげるからな!」「ピカピカになったわ!」と本当に患者さんへの声掛けが増えました。Bさんは退院時の時点では自宅退院は困難で療養型の病院に転院されたのですが、奥さんからは「家族みんなで話し合って、最終的にお父ちゃんを家に連れて帰りたいそのために一致団結して頑張っていこうと思います」との発言がありました。その時に私はこれらの関わりだけが家族さんにこんなに影響を与えるわけではないと思いつつも積極的に患者さんにケア参加してもらうことで家族さんをこんなに変えることができるんやと自分自身も達成感を感じることができました。今回、1年目の時に出会った娘さん、3年目の時に出会った奥さんも入院直前までは元気だった患者さんが意識障害により意思疎通困難となり入院した事例でした。
現在勤務している北5階病棟ではこのように急に疾病の発症により意識レベルや身体機能が著しく低下する患者は少なくありません。それらの患者・家族は身体機能を受け入れられず大きな衝撃を受けます。近年は終末期の患者への緩和ケアについては様々な体制整備をされるなど充実してきました。しかし、一方では、突然の疾病を発症した患者や家族への支援は不十分であると感じます。ご紹介したこの事例のように、患者の家族は面会に来ても何をしてもよいのか戸惑い、家族としての役割を見出すことは難しく、中には次第に疎遠になっていく家族もあります。しかし、ケアに一緒に参加し声掛けやタッチングの意義などを伝えることで、患者さんへの娘さん、妻としての役割や生きがいというものを見つけてあげることは大切な看護であることを学びました。現在も、以前の娘さんや奥さんのような状態の家族さんを見かけることが時々あります。これからも私たち看護師は、疾病の発症による身体機能の低下などの日常的な現象が、患者・家族にとって非日常でそれまでの人生を大きく変えることであるということを心において、患者・家族に寄り添っていきたいと思います。

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